ブルガリアに付きまとう不安定な影

by | 2024年09月5日 | Global View, ヨーロッパ, 政治

ブルガリアでは202410月に総選挙を控えている。なぜなら、20246月の選挙で連立政権の樹立にあたって政党間で合意を形成することが出来なかったからである。6月の選挙結果はボイコ・ボリソフ元首相が率いる中道右派与党、欧州発展のためのブルガリア市民党(GERB)が第一党、中道の続く変化党(PP)が第二党となり、過半数を占める党派は現れなかった。 20244月の選挙では連立政権は樹立できたものの、政権内で各党同士の意見の相違などが目立ち、結果として6月選挙に至った。2024年だけでも総選挙が3回行われている。しかしこのようなことは2024年だけではない。ブルガリア国内での総選挙は3年間で7回目になるのだ。これらからわかるようにブルガリアは政治的に不安定で次の選挙では3年間で7回目の選挙となる

なぜこのような状態が続いているのだろうか。この記事ではブルガリアという国の政治的不安定さの原因、根底にはいったい何があるのかを歴史を追いながら紐解いていく。

ブルガリア議会の様子(写真:Ava Babili / Flickr [CC BY-NC-ND 2.0])

ブルガリアの基本情報

ブルガリアは現在、議会制民主主義を採用する国であり、共和制を採っている。国家元首である大統領と政府を構成する首相が存在する。大統領は5年ごとに国民の直接選挙で選ばれる。一方、議会は一院制の国民議会であり、4年ごとに比例代表制で選挙される。首相は選挙で最も多くの議席を獲得した党が首相候補者を指名し、議会の信任投票で決定される。ブルガリア国内に存在する主要な政党は市民のための欧州発展ブルガリア党(GERB)、ブルガリア社会党(BSP)、存在するこんな国はない党(ITN)、続く変化党(PP)、ムフメット・デンコフスキの動き党(DPS)などがある。20249月現在連立与党として政権を握っているGERBは中道右派、保守主義であり、PPは中道である。司法制度は三権分立制を採っており、最高破棄裁判所や最高行政裁判所(※1)、 控訴裁判所など様々な裁判所がある。特に最高破棄裁判所長、最高行政裁判所長、検事総長、国民予審局長は最高司法理事会の提案にて大統領により任命される。

ブルガリアの主要産業は農業、工業、IT産業・サービス、観光などがある。物価上昇率も世界標準8.7%に比べ、15.3%と高くなっている。またブルガリアは欧州連合(EU)には加盟しているものの、ユーロ圏加入の一定の基準を満たしていない。一定の基準には、物価安定性、健全な財政、為替安定、長期金利の安定性がある。近年は特にEU諸国との貿易投資関係が進んでおり、最低賃金や年金の引き上げ、EU基金の消化が進んだことによる公共事業投資等により内需が拡大し、経済成長率は上昇しつつある。

経済成長が進む一方で人口については過去にもGNVの記事で取り上げたように減少の一途をたどっており、生産年齢人口は今後5年間で年率0.9%減少すると予想されている。また人口流出も課題であり、労働力の不足傾向が懸念材料である。失業率は4.4%であり、世界失業率の5.3%より低い。

ブルガリアの歴史的背景と現在

第二次世界大戦中、1941年の日独伊三国同盟加盟以降、枢軸国側になったブルガリアは同年ソビエト連邦(以下ソ連)による侵攻を受けて、ソ連の影響下に入った。終戦後もブルガリアはソ連の影響を受け続け、1946年に人民共和国として宣言され、共産主義体制が確立された。翌年1947年にはソビエト路線に沿った新憲法により、一党独裁体制が樹立。1954年に最高指導者である共産党書記になったトドルジ・フコフ氏はその後33年にもわたって権力を握り続けた。彼の政治的指針はソ連に服従することであった。当時のブルガリアは「ソ連の16番目の共和国」とも呼ばれ 内政を模倣したり、ワルシャワ条約機構や経済相互援助会議(コメコン)で安定的な貿易関係の構築をしたりしてつながりを深めることによって、東欧最貧国と言われたブルガリアの経済や国民生活の改善を実現した。しかしそのようなソ連風の独裁体制は1989年の東欧革命、ソ連の改革の一環として崩壊し、民主化が一気に促進された。

ソフィアの街並み(写真:Sami C / Flickr [CC BY 2.0])

一党独裁体制が崩壊して以降、ブルガリアは多くの新しい政党が生まれ、多党化が進んでいった。1990年には共産主義体制の下で経済と産業部門が国有化から民営化された影響や、民主化以前ならソ連から供給されていた原材料の購入する必要が出てきたことなどから経済危機が生じた。その経済危機に際し、社会民主主義を掲げる左派政党であり、旧共産党党派のブルガリア社会党(BSP6月に自由選挙で勝利するも、経済危機から脱却することはできず、BSP政権は、大衆デモとゼネストのさなかの1990年11月に崩壊したBSP政権崩壊後、野党民主勢力連合(UDF)が政権を握った。つまり20世紀末からブルガリアは現代に繋がる政治的不安定さの片鱗が現れていたのである。

さらに1992年、民主化以前の一党独裁体制時代に共産党書記であったトドル・ジルコフ氏に公金横領罪で7年もの実刑判決が下される。かつてブルガリアの政治を牛耳っていた権力者に対し、実刑判決が下されたという事実は国民に大きな衝撃を与えられた。そのような不安定な政治情勢の中、BSPが政権に返り咲いた。しかし1996年には経済危機が深刻化し、さらに同年ブルガリア最高裁判所は職権汚職を行ったとされたジフコフ氏の有罪判決を覆した。この裁判所の一連の騒動は国民の司法に絶対性、独立性に対する信頼を大きく揺るがす結果となり、この司法への国民の疑心暗鬼は周辺諸国と比較しても強く存在するようになった。

また翌1997年、通貨価値の急落に伴う銀行危機をめぐって国民の大規模な抗議行動が生じた。野党は議会をボイコットし、選挙を呼びかけ、選挙では再び野党民主勢力連合(UDF)が政権を握った。2000年初頭には欧米諸国との関係強化が目立ち、2004年には北大西洋条約機構(NATO)への加盟、2007年にはEUへ加盟が実現した。

揺れ続ける国政

そのような発展の一方、ブルガリア国内では汚職問題が絶えず、2008年や2012年の欧州委員会の中間報告書では汚職に対する対策は不十分であり、より一層対策を講じるよう勧告があった。欧州委員会からの勧告にもかかわらず、汚職は解決せず、EU基金の不正利用をきっかけにその基金の提供が停止されるなど、経済的制裁を受けた。また2009年のロシアとウクライナのガス紛争(※2)の影響で公共施設の電気の供給が止まったり、工場でも一部生産ラインの停止が起きたりなど、同時期にさらなる問題も抱えていた。そのため国民は政府のエネルギー対策や経済危機への対応に対し、不信感を募らせていった。

ブルガリアでのデモの様子(写真:Georgi C / Flickr [CC BY 2.0])

国民が政権への不満を募らせていった中、2009年の選挙で政権を樹立したのはボリソフ首相による政権であった。ボリソフ政権は中道右派のGERB党の政権である。そして2009年から2013年、2014年から2017年、2017年から2021年という長期にわたって政権を握り、汚職撲滅を掲げていた。しかしながら実際には、国民の怒りは蓄積し続け、そして2013年には電力料金の値上げをきっかけに公務員の汚職をめぐる大規模な抗議デモが発生し、ボリソフ氏は首相を辞任

ボリソフ政権の崩壊後、短期間の政権が続き、より一層政治的な不安定な状態が続いた。さらに追い打ちをかけるように20146月に銀行危機が生じ、短期政権の一つであったBSPDPSの連立政権は早々に崩れ、総選挙が開かれた。その結果、再度ボリソフ政権が返り咲いた。再度の首相就任後も、ボリソフは汚職問題に取り組むことを表明したが、政権への信頼は低下したままであった。2017年の選挙でもGERBが勝利し、ボリソフ氏は再び首相に就任。

3ボリソフ政権は、経済成長を促進し、EUとの連携を強化したが、国民の公務員に対する汚職疑惑や政府への不満が蓄積され続けた。2020年、政府の汚職や司法の独立性に対する懸念から、ブルガリア全国で大規模な抗議運動が発生した。この抗議は数ヶ月にわたり続き、ボリソフ政権に対する不服を対外的に示した。政府は抗議運動に対して一定の譲歩を見せたが、根本的な改革は行われず、国民の 不満は解消されなかった。この大規模な抗議運動を受け、2021年4月に行われた総選挙では、GERBが第一党となったものの過半数を確保できず、連立交渉が難航した。結局、GERBは政権を樹立させることができず、7月に再び選挙が行われ、新しいポピュリスト政党、ITNが最大勢力となった。しかしまたもや政権樹立には至らなかった。11月の選挙では、新党、PPが台頭し、PPの共同党首キリル・ペトコフ氏が首相に就任。この政党は汚職撲滅や司法改革、政府の透明化を掲げたものの、連立政権内での調整の難しさから政治運営は一概に成功したとは言えない結果に終わった。

2023年の選挙でブルガリア国内は再び政治的な混乱が起きた。20234月選挙結果はGERBPPが連立政権を形成し、政権を樹立した。さらに首相の座には各党の人物が交代で就くという「首相交代制」という奇策を生み出したのである。伝統的な政党のGERBと新党のPPが連立するという異例の事態の根底には2022年から開始したロシア・ウクライナ戦争とインフレ率上昇などといった外部的脅威に立ち向かうためという魂胆があった。しかし、この連立政権においても政権内で見解の不一致から政策調整が難航し、特に汚職対策や司法改革、経済政策についての意見の相違が顕著であったため決裂。結果として政府を構成する権限を最終的に大統領から与えられたITNがルーメン・ラデフ大統領にその権限を返却し、6月に総選挙が行われた。しかし、政党間の連立交渉は失敗し、10月にも総選挙が行われる予定である。

EPPサミットでインタビューを受ける大統領(写真:European People’s Party / Flickr [CC BY 2.0])

大統領対首相

これまで述べた政情の流れは首相が率いる政権の話だったが、前述したように、ブルガリアには大統領もいる。かつては大統領という存在は形式的な存在に過ぎなかった。しかし近年、変化がみられている。201611月、ルーメン・ラデフ氏が大統領選挙に勝利した。ラデフ氏が大統領に就任して以降、形式的な存在ではなく事実上の大統領の機能が開始暫定政府の国。ブルガリアの政治危機とその解決に向けた試み |OSW東方研究センター)したという見解がある。かつては形式的であった大統領という存在が政治を動かす要因へとまで変わった。例えば2020年の大規模抗議デモの際にラデフ大統領の存在が大きく関与している。2020年の汚職や職権乱用の疑いがあるとされた大統領府の高官に関連して行われた検察と警察の大統領府への 捜索が、ボリソフ政権を声高に批判するルーメン・ラデフ大統領に対する攻撃だと国民が受け取ったこともデモのきっかけの一つであった。しかしこの捜査によって大統領府の高官に不正が見つかったという記事やニュースは確認することができない。

また2022年以降ロシア・ウクライナ戦争に伴い、大統領と首相の摩擦が公の場で互いを批判するなどしてさらに激化した。ロシア・ウクライナ戦争に伴い、親ロシア派路線で進めることでエネルギー問題や国内問題の解消を試みる国内志向のラデフ大統領と、ウクライナに援助をし、ユーロ通貨同盟の創設を最優先課題させたい国際志向のボリソフ政権の間で大統領と首相の分断が加速している。

国連の会議に出席する大統領(写真:Presidency of Bulgaria / Wikimedia Commons [CC BY 2.5 BG])

しかし、2009年から着実に権力を握り、ブルガリアを牛耳っていたボリソフ政権やそのほかの首相らに対し、まだ2期目のラデフ大統領はなぜ対抗できるのか。そこにはブルガリアの政治的体制が大きく関わっている。ブルガリアは本来、議会制共和国だが、近年は安定した多数派の政府を形成することが困難であるため、大統領の役割が重視された。通常の憲法上の条件の下では、首相が主に政策の舵を取る。しかし政府の形成が困難になったり、議会が解散したりすると、一転して大統領の役割が重要視される。

2023年までは憲法上、大統領には選挙後に新たな多数派が形成されるまで統治する暫定内閣を任命する義務があった。首相を含む暫定政府のメンバーの選出はラデフ大統領の独占的な特権によって選定できたのである。すなわちラデフ大統領は議会の不安定さを利用し、自身の政治基盤強化と政策を実行していったともいえるのである。例えば、議会が解散された数日後、大統領は国営ガス会社ブルガルガスの経営幹部と取締役会を解雇し、側近と交代させ、前内閣が任命した28人の地方知事全員を解任したという出来事がある。

またもう一点ラデフ大統領がボリソフ政権と渡り合えた要因となったのは、新内閣の結成期限に関する憲法の特異な規定があったからである。憲法は、選挙後に新政権を任命しなければならない時期を定めていないが、同時に、首相に指名された者が内閣を組閣するための7日間という極めて短い期間を定めている。つまり、憲法は、大統領が首相を指名しなければならない期限を定義していないため、大統領は暫定政府が権力の座にとどまる期間を延長することが可能なのである。

しかし2023年にGERBPPとの連立政権下での憲法改正により、大統領の機能が変わることとなる。憲法改定により、大統領権限が縮小され、暫定首相を大統領が自由に任命することが制限され、特定の高官から選ばなければならなくなった。

街の選挙ポスターの様子(写真:OSCE Parliamentary Assembly / Flickr [CC BY-SA 2.0])

では一方、何度も国民から辞任を要求されてきたボリソフ政権はどうやって権力を維持してきたのか。それは長期にわたる政治的経験と影響力、また彼の実績とリーダーシップによるものであると指摘されている。また一方で汚職や不正についても疑念がある。実際に起きた具体的な内容としては2013年投票用紙の などがある。さらにこの汚職や政権への不満を抑えることが出来ていたのはブルガリアのメディアの自由の低さである。ブルガリアは、2008年から2020年の間に国境なき記者団による世界の報道の自由度指数で59位から111位に転落し、EU加盟国または候補国の中で最も低いスコアとなった。このことが原因の一端となり、汚職が減らず、民主主義の弱体化さえ招いたという見解もある

世論と国民の生活

不安定な政治的状況の中、202410月に行われる総選挙も含めた度重なる総選挙や一連の騒動は国民を大きく疲弊させた。その疲弊が選挙の投票率においても如実に現れている。20214月には有権者の投票率は50.6%であったが、20246月にはその割合が34.4%に減少した。政治的不安定な情勢の中、国民の意見を拾いあげることが必要になってくるのにも関わらず、投票率は減少し続けるという皮肉な状況になっている。さらには政治への興味そのものが失せた国民もいる。

また幾度とない抗議デモの原因の一端となった国内経済についても国民の購買率、消費行動もインフレ率の上昇の影響で抑制されており、2023年の経済成長率は著しく低い。これらの原因となったのはロシア・ウクライナ戦争やエネルギー危機、新型コロナウイルスのパンデミックである。ブルガリアの経済は、サービス(観光)の輸出を含め、非常に輸出志向が強く、外的ショックに対して脆弱である。また天然ガスの輸入の大部分をロシアに依存していたため、ロシアに対するEUの貿易制裁の影響を大きく受けた

ソフィアの街並みの様子(写真:Deensel / Wikimedia Commons [CC BY 2.0])

まとめ

以上のことからも分かるように政治的不安定さから生まれたブルガリアの抱える問題は単に政治的なものだけではない。ラデフ大統領が政治的改革を進めようと試みているとは言え、現役の高官の多くは、ボリソフの過去の内閣やGERBとつながりがあり、健全な政治体制が構築されているとは言えない。政府の政治運営に対し、失望する国民もいる一方で、民主主義に期待を持っている国民もいる。この期待を裏切らぬよう、大統領は政権運営の調整や監視など役割を果たし、首相は健全な政治運営を行い、政府としてもいち早く政治的安定と国民の信頼を取り戻すような政策を進めていくことが求められる。

 

1 1991年の憲法改定により最高裁判所が最高破棄裁判所と最高行政裁判所に分裂した。

※2 長年、ロシアの国営企業ガスプロムは、ウクライナ向け天然ガスの価格設定の不備や、代金未払いを指摘してきた。しかし、ロシアとウクライナの溝は埋まらず、2008年末から09年初にかけて、ロシアがウクライナへの天然ガス供給を停止した。

 

ライター:Ito Runa

グラフィック:Ayane Ishida

 

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4 Comments

  1. Anonymous

    国政の状況によって大統領と首相のどちらかに権力が傾くような制度になっているために二者の対立がなかなかおさまらず激化してしまうのではないかと感じた。互いにけん制しあうような仕組みが必要なのではないかと思った。

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  2. Anonymous

    政権が変わったときに過去の判決が覆されたことがあったことが印象に残る。司法・政府への不信感が募るのも頷ける。

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  3. 匿名

    ブルガリアという国の知識がなかったため、大統領と首相の両方を追って説明してもらえたのがわかりやすかったです。なぜ選挙が多くなってしまうのかが理解できました。

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  4. Anonymous

    ブルガリアという国が何度も選挙を繰り返すような不安定な国だということを知り驚きました。汚職や腐敗の改善に取り組んで国民の信頼を取り戻し、投票率を高めてより国民に寄り添った国になれば良いなと思います。

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