中央アフリカ共和国:再発した紛争の実態は?

by | 2017年07月6日 | Global View, サハラ以南アフリカ, 紛争・軍事

アフリカ大陸の中心に位置する中央アフリカ共和国で、ある紛争が再び激しくなっている。2014年ごろに落ち着きを見せたと思われた紛争だが、2017年5月30日、国連が報告書を発表した。この国では、暴力行為が急増しており、同年5月だけで数百人が殺害されたという。2017年5月現在、中央アフリカは、累計約48万人の難民を生み出し、約50万人の国内避難民がいる。今回の報告書は、レイプ、殺人、拷問、拉致、少年兵の動員を含む凶悪犯罪が横行していた、という内容だ。中央アフリカで起こる紛争とは一体どのようなものなのか?

地元から逃れる難民 [CC BY-NC 2.0] 写真:UNHCR/ B. Heger/Flickr

紛争の背景と当事者

チャド、スーダン、南スーダン、コンゴ民主共和国、コンゴ共和国、カメルーンに囲まれた中央アフリカ共和国は、1960年にフランスから独立し、長年にわたる植民地時代に終止符を打った。しかし、独立後も依然としてフランスをはじめとする諸外国の介入を許す状況となっている。1965年にクーデターで政権をとったボカサ氏は1976年に帝政宣言をして自ら皇帝となった。ボカサは1979年に首都バンギで学生による反対運動が起こった際、ザイール(現コンゴ民主共和国)の助けを得てこれを鎮圧したが、この鎮圧により400人もの犠牲者を出し、国内外からの批判が高まってしまった。その結果、同年9月、フランスの助けを得て起こったクーデターによりボカサは失脚し、帝政は崩れた。しかし、共和制に戻った後も諸外国の関与が疑われるクーデター及びその未遂が数回発生している。約490万人を抱えるこの内陸の地は、「安定」とは縁がないのである。

アフリカの中部にはほかにも情勢が不安定な国が多く、6つの国と接している中央アフリカは必然的にこれらの国とも影響し合うのである。特にチャド、スーダンとの国境付近の地域は「不安定な三角地帯」と呼ばれており、中央アフリカの紛争を考える上で切っても切れないも国々なのである。スーダンでは、2003年ごろからダルフール紛争が激化し、大量の難民や武力勢力が発生した。同時期にはダルフール紛争の影響でチャドの地方でも多くの反乱が起こっていた。このような状況のなかで、スーダンやチャドとの国境付近に複数の武装勢力や難民が往来することとなる。元来、中央アフリカの北東部の住民は言語、文化、宗教においてスーダンの西部やチャドの南部の住民との共通点が多く、お互いに馴染みやすい地域なのだ。それぞれの紛争も密接に絡み合い、3つの個別の紛争よりも、ひとつの「紛争複合体」と呼ばれるようになった

中央アフリカ共和国と隣国の情勢

BBCRelief Web のデータを元に作成

2003年3月、中央アフリカでは南部出身のボジゼ元参謀長が隣国チャドの大統領デビィの力を借りて、前政権を倒し、自らが大統領となるが、2013年まで続いた政権が崩れる。独立後の中央アフリカでは、南部出身の人々が権力を握っていることが多かったが、一方でこの大統領転覆を遂げたのは、北東部からの武装勢力の同盟である。自らを「セレカ(Seleka)」(同盟)と呼んでいた。チャド、スーダンまたは国境付近の武装勢力と手を組んで力を持つようになったのだ。しかし、政権をとった後も、セレカによる攻撃が続き、これに対して「反バラカ(anti-Balaka)」という武装グループが結成された。しかしセレカへの反発だけで済まなかった。北部からのセレカは主にイスラム教徒から構成されており、キリスト教徒が多かった反バラカは報復という名目でイスラム教徒の市民を襲撃していったのだ。数多くのイスラム教徒が難民となり隣国カメルーンやチャドに逃亡もしくは国内避難民となり、その数は約80万人にのぼる。やられてはやり返すという泥沼の紛争で、女性、子供を含む市民を巻き込む形で起こっていた。

このような状況の中、ボジゼの後に就任したセレカ出身のジョトディア大統領は武装グループの力を抑えることができず、彼は統治能力を疑われ、ボジゼの時代から中央アフリカの後ろ盾となっていたチャドに見放された結果、辞任した。フランスや中央アフリカの地域機構、アフリカ連合などの介入も重なり、セレカは2014年に事実上解散となったのだ。さらに、ますます勢いに乗る反バラカがイスラム教徒への攻撃を強め、元セレカが首都バンギから追い出されたことによって、中央アフリカは一応の小康状態となっていた。選挙を経て2016年3月にトゥアデラ大統領が就任したものの、この政権も実質的にバンギにしか統治を及ぼすことができていない。そして、この影響力もわずかなものにすぎないのだ。

中央アフリカ北部の反乱軍の兵士

中央アフリカ北部の反乱軍の兵士 [CC BY-SA 2.0]  写真:hdptcar/flickr

現在、しっかりとした統治がなされていないその他の地域では、元来別々の武装勢力の集合体であったセレカの連帯が緩み、それぞれの勢力が各地に分散することとなった。元セレカである主に6つの武装グループ(※1)が自分たちの利益を追及すべく勢力を固め、拡大しようとしている現状だ。さらに、混沌とした中央アフリカをますます苦しめているのが「神の抵抗軍(LRA)」と呼ばれるグループである。彼らは1987年にウガンダの反政府勢力として結成された。虐殺、拉致、少年兵などの非人道的行為が問題となっており、近年その勢力はウガンダ政府から逃れるために国境を越え、コンゴ民主共和国、中央アフリカ、スーダンなどの地域でも活動し、国境なき武装勢力となっている。中央アフリカでは、長年にわたって権力が真空状態にあるため、情勢が一見落ち着いたように見えても、武装勢力が活動しやすく、反乱が起こりやすい。このような点においても、LRAが逃げ込むには恰好の場所だったと言える。

 

世界の取り組み

さまざまな要因が絡み、複雑化している中央アフリカであるが、このような状況に対して世界は何の策も打っていないのか?そういうわけではない。2013年には「中部アフリカ諸国経済共同体(ECCAS)」の仲介により、政府やセレカなどが参加のうえ、和平合意が一旦結ばれた。その後悪化した中央アフリカの状況を受け、国連安保理はアフリカ主導の「中央アフリカ国際支援ミッション(MISCA)」及びフランス軍の派遣を許可した。そして現在は「国連中央アフリカ多面的統合安定化ミッション(MINUSCA)」と呼ばれるPKOが活躍している。MINUSCAのプログラムにより、軍事要員、警察要員合わせて約1万2870人が派遣されている。しかし、直面している問題の規模と任務に対して、人数が圧倒的に不足しており、活動は難航してしまっている。そのほかにも、 LRAを掃討するためにアメリカ、ウガンダ、コンゴ民主共和国、南スーダン、中央アフリカなどが軍隊を派遣しているが、中心的存在であったアメリカとウガンダが撤退を表明しており、行く末は見えない。

中央アフリカと隣国の情勢

CRS Report国連 のデータを元に作成

 

紛争と対策の背景にはなにが

この紛争の場合、セレカにはイスラム教徒が多く、反バラカにはキリスト教徒が多いため、宗教の対立軸が強調されがちである。しかし実際の対立軸はそれだけではなく、権力を保持してきた南部と、権力を握ることのなかった北部、という権力分配における対立軸や、複数の民族・言語グループの対立軸も存在する。また、これらの背景には、天然資源による富をめぐる対立もあるのだ。

中央アフリカに関与しているさまざまな国にも、それぞれの守るべき利害関係が存在する可能性がある。中央アフリカは、金・ダイヤモンドのみならずウラン・木材も豊富な国だ。石油探索も進められている。そのため、諸外国のねらいが天然資源にあるという見方もある。元宗主国フランスは、中央アフリカの最大の貿易相手国であり、ウラン鉱山の開発を進めている。植民地時代の名残を感じさせるまでに、なにかと中央アフリカの政府を援助してきたフランスであるが、2013年のセレカによる大統領転覆の際にボジゼに手を貸さなかった。それは、当時のボジゼ大統領が、石油採掘権をフランスではなく中国に売ったからである、とボジゼ大統領自身が発言している。また、2013年に派兵した南アフリカにおいては、大統領の親族や政党の関係者などが中央アフリカでの石油、ウラン、ダイヤモンドなどの資源ビジネスに関わっており、個人的な利益を守るために国家として軍事介入していたのではないかと言われている。

木材を運ぶトラック

中央アフリカ共和国で木材を運ぶトラック [CC BY 2.0] 写真:WRI Staff

 

「内戦」ではない

中央アフリカで起こっているこの紛争は、単なる宗教、民族対立による「内戦」ではない。アフリカの中部で発生している複数の武力紛争と一体化した背景があり、外国の介入を許してきた事実もある。その裏には地域での勢力争い、あるいは権力や天然資源をめぐる争奪戦など、越境した問題が複雑に密接に絡み合った要因があるのだ。昨日は共に戦っていたかと思えば明日は決裂しているかもしれない。武装勢力の枠のあいまいさが国家の混乱を助長していることも重要なポイントだ。治安を取り戻すことを名目に介入してくれる外国も自国の利益の達成という下心があるのかもしれないのなら、中央アフリカはどのような道を歩むのだろうか?さまざまな視点から考慮することなくこの国の紛争を捉えることはできない。

教会に避難する人々

教会に避難している人々 [CC BY 2.0] 写真:UNHCR/ B. Heger/flickr

※1:元セレカの武装勢力としては、主に、FDPC(中央アフリカ民主戦線), FPRC(中央アフリカ再生人民戦線), MLCJ(中央アフリカ正義解放運動), MPC(中央アフリカ愛国運動), RPRC(中央アフリカ再生愛国集会), UPC(中央アフリカ平和連合)の6つがある。

ライター:Madoka Konishi
グラフィック:Mai Ishikawa

3 Comments

  1. リン アイ

    普段生活していたら、この様な情報は分からないですが世界を知ることがとても大切だと感じました。これからもっとアフリカの情報を知りたいと思います。

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  2. 変態名無しさん

    ボカサの孫とか今どうしてるんだろう?

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  3. 学生

    グーグルアースで多分唯一一切360oカメラの無い国なんですよね。ここ。治安情報もレベル4(最大)でアフリカの中でもトップクラスだし……

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  1. アフリカにおけるPKO活動の現状と課題 | GNV - […] 現場のニーズに見合った、規模・資金・役割を与えられていると限らないPKOは現場でさまざまな問題に直面する。派遣人数が足りないと市民の保護ができない可能性を高くしてしまうことは想像に難くないだろう。冒頭でも触れたように、2019年11月末にコンゴ民で起きた事件は、MONUSCOと政府軍の保護の失敗に対して市民が怒りを隠せなくなったことが発端であった。また他の例として、南スーダンや中央アフリカ共和国でも、保護の失敗が指摘されている。しかし、人・資金が不足している状況で、ある程度保護に限界があるというのは認めざるを得ない。例えば、人数が少なければ、基地から遠く離れたところまでパトロールすることが難しい。資金がないと、もともと賃金のレベルが相対的に低いアフリカからの兵力に頼ろうとするので、訓練があまり十分でなかったり、経験が少ない兵士が派遣されたりすることもある。また、派兵される各国国軍の幹部や兵士のモチベーションに関してはどうだろうか。自分の国の安全保障のために働くのではなく、自分とは直接関係のない異国の地で任務を全うするとなれば、自国のために働く時よりも守りに入ってしまったり、リスクを負う覚悟が相対的に小さくなってしまったりしまうかもしれない。 […]

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