ピンクタイド:ラテンアメリカ4半世紀の政治の概観

by | 2024年05月30日 | Global View, 北中アメリカ, 南アメリカ, 政治, 経済・貧困

冷戦の終結は資本主義者(右派)の大勝利と共産主義者(左派)の抹消によって両者間のイデオロギー的競争に永久の決着がついたという考え方を象徴していた。冷戦の「勝者」となったアメリカは右派が正しいと世界に確信させたように見えた。しかし、ラテンアメリカでは違った。歴史にしがみつき、振り子が揺れるように「右」と「左」の間で揺れ動いていた。

2000年代初頭、民衆選挙によって右派の新自由主義政権(※1)が次々と解体され、左派政権が誕生していった。この地域全体の政治運動は「ピンクタイド」と呼ばれた。これは、いわゆる革命的な左派政府を描いた「レッドタイド」にちなんだものである。レッドタイトに比べると少し共産主義・社会主義の度合いが低いという意味で、赤色より色の薄いピンクを使ってピンクタイドという。それからおよそ10年後、2008年の大不況が始まると、ラテンアメリカは再び右傾化の兆しを見せた。しかし社会改革を求める政治的圧力の高まり、右派支配下での経済的不満、新型コロナウイルス(COVID-19)の猛威によりラテンアメリカは再び左へと傾いた。新たにピンクタイドが話題となった。ラテンアメリカは、また新たな大規模政治実験の最前線にあるのだ。

米州機構、2022年、ペルー(写真:U.S. Department of State / Flickr[United States government work])

ピンクタイドという政治

1998年、世界最大の石油埋蔵量を誇る貧しい国ベネズエラでウゴ・チャベス氏が選出され、ピンクタイドが始まった。「21世紀に向けて社会主義を再構築する」という彼の明確なアジェンダは、地域に熱狂と悲観の入り混じった波紋を投げかけた。彼は、庶民にとっては不幸から救われる道であった一方で、資本家にとっては脅威だった。翌年チリで、前任の独裁者アウグスト・ピノチェト氏に対抗していた左派のリカルド・ラゴス氏が大統領に選出された。

ピンクタイドは翌年、支持を集めラテンアメリカを急速に席巻した。2003年、カリスマ的な左派指導者であるアルゼンチンのネストル・キルチネル氏(2007年に妻のクリスティーナ・フェルナンデス・デ・キルチネル氏が継承)とブラジルのルーラ・ダ・シルヴァ氏が政権に躍り出た。パナマ(2004年)、ウルグアイ(2005年)、ボリビア(2006年)、ペルー(2006年)、ホンジュラス(2006年)、ニカラグア(2007年)、エクアドル(2007年)、パラグアイ(2008年)、グアテマラ(2008年)、エルサルバドル(2009年)、コスタリカ(2014年)がそれに続いた。エコノミスト誌は、2023年まででラテンアメリカの人口の92%を占める19カ国のうち12カ国が左派政権下にあると懸念を含ませて発表した。

ピンクタイドの指導者たちをひとつのイデオロギーの枠に括ることは必ずしもできない。少なくとも、これらの指導者は皆、国家開発や社会福祉の提供において国家に積極的な役割を与える包括的な政治・経済政策を支持している。それは庶民的な地域や周縁化された地域社会の緊急のニーズに対処するために、政治参加を拡大することの重要性を認識するものであり、また新自由主義的規定を排除し、国内への国際的(特にアメリカ)干渉を最小化するものである。しかしピンクタイドの指導者たちは、実際にはさまざまな色合いで自らの左派的立場を表明した。ベネズエラのチャベス氏のような急進的な社会主義から、ウルグアイのホセ・ムヒカ氏に代表される穏健な左派まで。ラテンアメリカの政治家のイデオロギー的傾向を明確に特定することは簡単ではない。

このイデオロギーの多様性が、強固な地域ブロックを構成し、国際的に影響力のあるブロック外の勢力に対抗するための主な障害になっていると指摘する学者もいる。2004年、ベネズエラとキューバは、対外的な影響力に対抗するための地域的なプラットフォームとしてアメリカ大陸のためのボリバル代替案(ALBA:Alianza Bolivariana para los Pueblos)を設立した。アメリカと緊密な関係にある国々、すなわちコロンビア、メキシコ、ペルーがこの新たな動きに参加しなかっただけでなく、アルゼンチン、ブラジル、チリ、ウルグアイといった国々も同様に参加しなかった。またエクアドルは2018年、左派の大統領に代わり中道派の大統領が就任すると、脱退を表明した。ボリビアとチリの国境紛争などで見られるように、ラテンアメリカ諸国間の地政学的問題も、この脆弱な地域連帯の原因の一つであった。

ピンクタイドにおける経済

ピンクタイド政権は、絶頂期に驚くべき業績を残した。例えば、ベネズエラのチャベスの政権下では失業率が1999年の14.5%から2009年には7.6%に半減し、極度の貧困は1999年の23.5%から2011年には8.5%に減少した。ブラジルのルーラ政権(2003年~2010年)は、2,000万人のブラジル人を失業から救い出したと豪語した。もうひとつの例は、ボリビアの先住民族指導者として初めて大統領に選出されたエボ・モラレス氏だ。彼は毎年約4.9%の経済成長を遂げ、貧困率を2006年の59.9%から2017年には34.6%まで減少させた。ピンクタイドはラテンアメリカの貧困率の低下と関連していることを示唆する報告書が数々発表されている。この地域で、左派政権は非左派政権よりも早く所得不平等を減少させることに成功した。

ピンクタイド政権は、最低賃金を引き上げ、条件付き現金給付などの社会福祉プロジェクトを立ち上げることで、貧困を減らし、国民の健康状態や識字率を改善した。これらの政府は、商品貿易収入(特に石油、ガス、鉱業)と対外融資から資金を調達した。このような有利な国際的情勢は、中国の経済的台頭にともなうニーズの増加によって拍車がかかった部分もあると指摘されている。

一次産品ブームに乗り、ピンクタイドの大半の政府は、輸出を目的とした天然資源開発政策を推進したが、これは国際市場における一次産品の供給国としてのこの地域の役割を強く再認識させただけだったともいえる。輸出産業と資源産業に依存し、生産性を向上させ、経済を多角化させるための強力な産業基盤を発展させるには至らなかった。輸出主導の戦略は、世界市場の価格変動という脆弱性に地域を直面させた。 例えばラテンアメリカの対中貿易(石油、銅、鉄鉱石、大豆)は、2003年から2013年にかけて年間約1,060億米ドルであったが、多くが中国の需要に依存していた。2015年に中国経済が減速し始めるとラテンアメリカは直接の結果として大きな損失を被った。

ピンクタイド政権は確かにポピュリスト的な公約を果たしたが、自国の問題を長期的に解決するための包括的な改革は行わなかった。ラテンアメリカ経済は依然として不安定であった。

ボリビアでの鉱山(写真:Toniflap / Flickr[CC BY-NC-ND 2.0 Deed])

ピンクタイドとその敵

ピンクタイドの野心に火をつけた当初の熱狂は、次第に冷めていった。2008〜2009年の大不況に加えて、国際レベルでの商品価格の下落、国内での権力闘争の激化に見舞われ、結局ピンクタイドは崩壊した。右派政治家たちがこの好機を利用し、政権を握った。

ピンクタイドの失敗の原因は、その指導者たちが進歩的な政策を制度化できなかったことだとという指摘がある。左派の人々でさえも、条件付き現金給付プログラムは貧困と不平等に対処するための戦略としては不十分だと批判した。他の人々は、左派政権が統治において資本主義の圧力に屈服していると非難した。 ピンクタイドの指導者たちは、それぞれのビジョンや政策を実現させるために資本主義的な政策を用いたからだ。ただし、左派の指導者たちは、内部に対する影響力や外部とのつながりを持ち政府に強力な影響力を持つさまざまな組織と政策について交渉する必要があったことにも注目するべきだろう。

ベネズエラの事例はその一例である。 2002年、チャベス氏に盾突く企業はゼネラル・ストライキを呼びかけた。彼はまた、アメリカ政府と結びついたクーデターにも直面した。チャベス反対派と支持派の対立が引き金となった街頭暴力が頻繁に生じた。一方、アメリカはベネズエラを孤立させようと一貫した国際キャンペーンを組織した。2019年、ドナルド・トランプ大統領(当時)はベネズエラに対して石油制裁を課し、野党指導者であるフアン・グアイドー氏をベネズエラの正当な選挙で選出された指導者として承認した。2024年、ジョー・バイデン大統領は、ニコラス・マドゥロ現政権が野党指導者に対して行った非民主的な行為を理由に石油制裁を再開した。

左派指導者たちもまた、強制的な罷免を警戒し続ける必要があった。2009年、ホンジュラスのホセ・マヌエル・セラヤ大統領は軍部による明らかなクーデターによって、彼の住居から強制亡命させられた。彼は2011年、裕福な後継大統領ポルフィリオ・ロボ氏との協定によって帰国を果たした。2019年、モラレス大統領はボリビアで14年間政権を握った後、選挙結果に対する抗議デモが激化し、軍事的圧力がかかったために辞任に追いやられた。追放されたモラレス氏は、それだけでは足りないかのように、法定強姦、人身売買テロリズムの告発を受けて非難の的となった。

ホンジュラスでのクーデターの様子、2009年(写真:rbreve / Flickr[CC BY-NC-SA 2.0 Deed])

議会のクーデターもピンクタイドの大統領を追放するのに効果的だった。2012年、パラグアイのフェルナンド・ルゴ大統領は右派が支配する議会によって弾劾された。ブラジルでは2016年、ルーラ氏の後継者であるディルマ・ルセフ大統領が議会の投票によって罷免された。左派政権にとっては、厳しい敵対勢力が絶え間なく政治的機会をうかがっているため、政権を維持し続けることが最優先事項になる。

汚職、マネーロンダリング、詐欺の疑惑が左派指導者たちを追い回し、ピンクタイドの功績に泥を塗った。2017年ルーラ氏は汚職とマネーロンダリングで有罪となった。

大きな物議を醸した反汚職調査「洗車作戦」に関与していたことが明らかになったのだ。ペトロブラス(国営石油会社)とオデブレヒト(建設会社)というブラジルの2大企業とラテンアメリカの政治家が関与した史上最大の汚職スキャンダルである。この事件には、ペルーのオランタ・フマラ大統領とその妻も絡んでいるとして喚問された。

ペルーの元大統領、オデブレヒトからの賄賂を受け取ったとされるアラン・ガルシア大統領は逮捕前に拳銃で自殺した。

ピンクタイドからは汚職スキャンダルが続々と流出した。2018年、グアテマラのアルバロ・コロム大統領は、公共バスを調達のための3,500万米ドルの契約に絡む汚職の容疑で起訴された。その2年後、亡命中のエクアドルのコレア氏が汚職で起訴された。反対派はまた、エルサルバドルの元ピンクタイド大統領 サルバドール・サンチェス・セレン氏を容赦なく追及し、3億5,100万米ドルの公的資金に関わる不正蓄財とマネーロンダリングで起訴した。マウリシオ・フネス氏は犯罪グループとの秘密交渉で14年の実刑判決に加え、脱税でさらに懲役6年を言い渡された。

一方、アルゼンチンのフェルナンデス・デ・キルチネル氏は、政府プロジェクトを友人に発注した不正取引で有罪判決を受けた。コスタリカのルイス・ギジェルモ・ソリス氏は、コスタリカの政府プロジェクトを仲間に発注した不正取引で2023年に有罪判決を受けた。この一連の汚職スキャンダルによって、ピンクタイドは終焉を迎えた。ラテンアメリカは右傾化した。2015年にアルゼンチンのマウリシオ・マクリ氏が、2018年にチリのセバスティアン・ピニェラ氏が、そしてブラジルではジャイル・ボルソナロ氏が就任した。

新たなピンクタイド

ラテンアメリカ政治に変化をもたらす前触れとして、新型コロナウイルスパンデミックは、この地域と右派政治の支配の脆弱性を露呈した。ある報告書によれば、新型コロナウイルスに関連したラテンアメリカの死者数は約160万人であり、これは世界の総死亡者数の28%に相当する。新型コロナウイルスによる死亡は、この地域の 「驚異的な不平等 」に起因している。悲劇的なパンデミックの経験と、それを跳ね返そうとする経済的圧力の高まりが、政治的左派のアジェンダを復活させた。

ピンクタイドは大衆の会話に再び登場するようになった。2019年には最高裁判所はルーラ氏の汚職有罪判決を覆した。これにより、ルーラ氏は580日間の獄中生活を経て自由の身となり、2022年の再選を目指すことになった。ボリビア、チリ、コロンビア、グアテマラ、ホンジュラス、メキシコ、パナマ、ペルーに続き、彼はラテンアメリカの現職左派大統領の名簿に名を連ねることになった。新生ピンクタイドは公約を実現できるのか。世界が注目した。

2000年以降、ラテンアメリカの状況は大きく変わっていた。一次産品ブームと中国経済は減速したが、米中の地政学的競争は激化し、ラテンアメリカのピンクタイドの指導者たちは中国との緊密な関係のために緊張に巻き込まれていた。対外関係において対立する米中と協調するような戦略(ヘッジング)をとってきたのに対して、アメリカの外交政策がますます攻撃的になっていることが、これらの政府に新たな不安を与えた。アメリカには、ラテンアメリカの左派政権を不安定化させ、転覆させた歴史がある。ヤコボ・アルベンツ政権(グアテマラ、1954年)、ジョアン・グーラート政権(ブラジル、1964年)フアン・ボッシュ政権(ドミニカ共和国、1963年)、サルバドール・アジェンデ政権(チリ、1973年)、サンディニスタ政権(ニカラグア、1980年代)などがその例である。

最近ではアメリカ政府はベネズエラのクーデター未遂とニカラグアのホンジュラスのセラヤ政権打倒の一因として非難されている。また、アメリカはベネズエラニカラグアを対象とした経済制裁を課している。

また、地域レベルでは、ピンクタイドのイデオロギー的多様性は、あらゆる年代の指導者の間でますます顕著になってきている。ピンクタイドの新しい指導者たちは、現実的な理由により前任者たちに比べて地域連帯をあまり重視しなくなっている。ラテンアメリカの域内貿易は減少しているが、対外貿易、特に対中貿易は増加している。さらにピンクタイドの若手指導者たちは、仲間の左派指導者たちの行動を非難することをためらわない。2023年、チリのガブリエル・ボリッチ大統領は、ニカラグアのダニエル・オルテガ大統領による野党指導者に対する行動を非難し、彼を独裁者と呼んだ。一方でアルゼンチン、コロンビア、メキシコは市民権を剥奪されたニカラグアの反体制派に亡命を申し出た。その年の暮れ、ニカラグアは米州機構(OAS)から正式に脱退した。

この地域の新たな政治的・経済的状況は指導者のスタイルやより現実的な政策志向などに変化をもたらすだろう。ピンクタイドの指導者たちの間の溝は広がり続けるかもしれない。

ブラジルのルーラ・ダ・シルヴァ大統領とコロンビアのグスタボ・ペトロ大統領(写真:MMA / Flickr[CC BY-NC-SA 2.0 Deed])

国内の課題

国内レベルでは、ピンクタイドの若手指導者たちは、より分極化した社会で活動している。多くの民衆の支持を得ていた旧ピンクタイドの指導者たちに比べ、新しいピンクタイドの指導者たちには、国民のかなりの部分が明確に反対している。人気のあったルーラ氏でさえ、ボルソナロ氏に50.8%対49.2%というわずかな差で勝利した。

ペルーの事例は、ピンクタイドの新指導者の支持基盤が不安定であることを示している。2021年のペルー大統領選挙では、左派のペドロ・カスティーヨ氏が右派の対立候補ケイコ・フジモリ氏にわずか44,000票差で勝利した。翌年、カスティーヨ氏は反乱罪で罷免・拘留された。右派政治家が支配する議会を解散させ、「例外政府」を設置しようとしたためである。ディナ・ボルアルテ副大統領が大統領の座に就いたが、彼女は後に右派の野党と連携した。彼女が漸進的な改革と暫定政府の樹立という公約を守らなかったため、彼女の政権に対する抗議デモはエスカレートした。彼女の指揮の下、ペルー当局は武力で対応し、少なくとも60人のデモ参加者が殺害された。

チリでは、ピノチェト政権時代の新自由主義憲法を書き直すことを任務とする委員会では、50議席中22議席を野党が獲得し、ボリッチ左派政権は敗北を喫した。右派の勝利は新憲法起草過程における左派政党の拒否権を事実上否定した。しかし、投票した国民は、左派と右派の両方の憲法草案を拒否し、ボリッチ大統領の新憲法の追及は膠着状態に陥った。ボリッチ氏の事案は、新しいピンクタイドのリーダーたちによるイニシアチブへの国民の支持が、旧ピンクタイドが享受していたものと比較して限定的であることを示している。

さらに、ピンクタイドの新しいリーダーたちは党内の秩序を保というと奮闘している。シオマラ・カストロ氏がホンジュラスの大統領に選出されてからわずか数カ月後、彼女の党員の一部が議会で党の路線から離脱し、野党と同盟を結んだ。彼らは公然とカストロ氏の議会指導者選択に異議を唱えた。

任期が始まって数年、ピンクタイドの新指導者の支持者たちもまた、失望の兆しを見せ始めている。ルイス・アルセ大統領が掲げた「団結してボリビアを再建する」という綱領は、彼の政府がジェニン・アニェス前暫定大統領とその側近を逮捕して野党を追及したことで、疑問視されるようになった。また、コロンビアのグスタボ・ペトロ大統領は、彼の家族と元参謀長をめぐる汚職論争に巻き込まれている。

左派指導者たちの党と支持者への影響力の弱さ、人気の低下、汚職疑惑は、新しいピンクタイドを終わらせるだろう。その上専門家たちは、ラテンアメリカでは数字が示すように反現職主義が発達していることに気づいている。2015年以降、31回の大統領選挙のうち、現職政党が勝利したのはわずか5回だった。2024年5月、パナマは右派のラウル・ムリーノ氏を選出した。現職が誰であろうと、次の選挙で敗北することは必然であるようだ。

最後に

ラテンアメリカの一般市民にとって重要なのは、誰が権力を握っていようと、自分たちの生活である。国際的、地域的、国内的な状況を考えると、ピンクタイドの新しい指導者たちは迫り来る嵐に備える必要がある。結局のところ、新しいピンクタイドは呼び方こそ異なれど、掲げるものは最初のピンクタイドが果たせなかった公約に妙に似ている。

 

※1 新自由主義:政府の市場への介入を減らし、規制緩和を行い、市場の自由競争の結果を重んじる経済政策の立場。

 

ライター:Darren Mangado

翻訳:Kyoka Wada

グラフィック:Ayane Ishida, Yudai Sekiguchi, Ayaka Takeuchi

 

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