2025年5月11日、コンゴ共和国の首都ブラザビルで野党のコンゴ社会党の党首、ラッシー・ムボイティ氏が拉致されるという事件が起こった。ムボイティ氏は2026年に行われる予定の大統領選挙の候補者でもあり、この拉致の裏には政府の関わりがあるとも主張された。9日後に重体のムボイティ氏が発見され、その体には拷問の形跡があったという。
コンゴ共和国の国家元首である大統領の任期は5年間であり、法律上は国民による直接投票で選出される。しかしその実態については、野党への圧力や抑圧に加え、通信の制限や報道の自主検閲、腐敗などにより公平性が確保されていないと考えられている。実際、現職の大統領であるドニ・サスヌゲソ氏は、1997年から一貫して大統領であり続けている。
コンゴ共和国の権威主義的な情勢は、石油を軸として、政治の腐敗、外国企業の搾取構造、脆弱な経済と貧困、紛争など、この国を取り巻く様々な問題と密接に関係している。本記事ではこれらの問題を、経済、外国企業、政治、貧困、外交の観点からそれぞれ分解していきたい。

2023年、ルワンダの首都キガリで演説するサスヌゲソ氏(写真:Paul Kagame / Flickr [CC BY-NC-ND 2.0])
コンゴ共和国について
コンゴ共和国は中部アフリカに位置する国であり、西でガボン、北西でカメルーン、北は中央アフリカ共和国、東から南にかけてはコンゴ民主共和国と接している。また、南西ではアンゴラの飛地であるカビンダとも国境を共有している。なおコンゴ民主共和国は、国名は似ているがコンゴ川を国境に挟んだ別の国である(※1)。
約342,000平方キロメートルの国土にはおよそ650万人の人々が住んでいる。人々が属する民族グループは細かく別れており、かつては競争・協力関係にあったが、植民地時代以降は民族間の対立が強くなり、政治的な分断の口実にもなっている。公用語としてはフランス語と定められているが、日常的にはバントゥー諸語に属する言語が広く使われている。また、バントゥー諸語のうち特にリンガラ語はブラザビル北部で、キトゥバ語はブラザビルから海岸までの地域で多く話される。
経済構造を見ると、石油産業への依存が大きく、2006年から2020年までの15年間で平均してGDPの42%、輸出の60%を石油産業が担っている。一方でこの産業が生み出す雇用は比較的少なく、労働力の20%を占めているに過ぎない。
歴史的には、紀元前1000年以降バントゥー語系の人々がコンゴ川下流域で定住を始めたと考えられている。紀元後1000年から1500年にかけて海岸地域にロアンゴ、南西地域にコンゴ、北部にティオの3つの王国が形成された。1483年にポルトガル人がコンゴ王国に上陸した。当初は友好的な関係であったが、やがてポルトガルが自国の植民地、サントメ島でのプランテーションに必要な労働力を求めて奴隷貿易が始まった。奴隷貿易は17世紀から18世紀にかけて盛んに行われ、多くの人々が中南米の植民地に運ばれ、植民地での労働を強制された。
1880年、フランスの探検家ピエール・ブラザ氏(※2)がティオの首長と結んだ条約を根拠に、フランスは現在のコンゴ共和国に当たる領域に対して管轄権を主張した。この地域は1891年にフランス領コンゴとしてフランスの植民地となり、1910年には周りの植民地と合わせてフランス領赤道アフリカの一部となった。なお、現在のコンゴ民主共和国はベルギーの植民地となっていた。
フランスの統治下では強制労働、重税、商品作物生産の強制などが行われた。特に1921年から1934年にかけて行われた首都ブラザビルと沿岸のポワントノワールを結ぶコンゴオセアン鉄道の建設では、15,000人から20,000人が命を落とすほど過酷な強制労働が断行された。
1960年にコンゴ共和国として独立を果たすが、政治は安定せず、抗議デモや軍事クーデターなどにより大統領の失脚が続いた。1969年に大統領に就任したマリアン・ングアビ氏は、アフリカ式マルクス主義国家を掲げて外資系企業の国有化を進めた。しかし、これが生産性の低下につながることになった。一方、1972年に始まった石油採掘が巨大な輸出産業となり、石油を担保にして得た融資で石油関連産業を整え、大きな利益を得ることになった。しかし、北部を重視した政策により南部の住民の反発を招き、1977年に暗殺されることになった。
1979年に大統領になったサスヌゲソ氏は、当初はバランスの取れた政治を行うが、国際的な石油価格の下落に伴って経済は落ち込んだ。1992年の選挙でサスヌゲソ氏は敗北し、パスカル・リスバ氏が次の大統領になったが、依然影響力を持つサスヌゲソとの対立は続いた。両者はそれぞれが所属する民族を軸に支持層を固めて私兵団を組織したが、これは対立の激化を招き、1993年に紛争が発生した。この中で2,000人が命を落としたが、リスバ氏は権力を維持した。
その後1997年の大統領選を前に再び緊張が高まり、1997年に2回目の紛争が発生した。この結果フランスとアンゴラの支援を受けたサスヌゲソ氏が勝利した。なお、2回目の紛争は政治的決着がついた後も収まらず1999年まで続き、その間も含めた全体の死者数は13,000人から25,000人と推定されている。勝利したサスヌゲソ氏は、この2回目の紛争以降現在に至るまで大統領として実権を握り続けている。
石油と外資系企業と腐敗
ここからはコンゴ共和国に、石油がどのような影響を与えてきたのかを見ていこう。コンゴ共和国の石油埋蔵量は世界で36番目に多く、16億バレルほどが眠っていると考えられている。この豊富な石油資源の利用は、かつて存在したフランスの国営石油会社、エルフ・アキテーヌによる1972年の掘削とともに始まり、以降この国を左右する重要な要素であり続けている。それ以降のこの国の歴史を、石油という観点からもう一度捉え直してみよう。

コンゴ共和国の石油産業の中心地、ポワントノワール(写真:Molopipi Lulusse / Flickr [CC BY 2.0])
1970年代に急激に発達した石油産業は多くの富を生み出した。このとき、当時社会主義路線を採用していたコンゴ共和国の政府は積極財政を実施したが、その財源を得るために石油を担保にしてフランスの石油会社エルフ・アキテーヌから融資を引き出した。その見返りとしてエルフ・アキテーヌは石油採掘の権益を格安で受け取り、巨額の利益を得た。
なお、石油利益の分配について、基本的には産油国の政府がどのように分配されるのかを決める権限があるが、大手石油企業は自社の持つ石油掘削技術や情報、資金などの優位性を用いて交渉を有利に進めたと指摘されている。
そしてこの関係は、石油価格の暴落とともにさらに極端な搾取構造となった。加えてコンゴ共和国の通貨であったCFAフランはフランスにより管理されており、自国にとって適切な金融政策を取ることができなかったことがこの国の財政をより悪化させたと考えられている。1985年には政府収入の45%が債務支払いに充てられるようになり、1990年までにコンゴ共和国の債務は年間GDPの2倍近くに当たる47億米ドルを超えることになった。
このような経済的な搾取構造に加えて、エルフ・アキテーヌはコンゴ共和国の政治体制にも深く関わっているという見解もある。実際に1992年1月に軍の兵士がこの搾取構造に反対する政治家に向かうという事件があったが、これを計画したのがエルフ・アキテーヌだという証言がある(※3)。
また、コンゴ共和国の政治家の中にはこの構造から莫大な利益を得る者もいた。エルフ・アキテーヌからの融資の契約を結ぶとき、政治家はその額に応じた巨額の協力料を受け取っていたと指摘されている。加えてエルフ・アキテーヌは、石油を売る際に1バレルにつき0.2~0.6米ドル分上乗せし、得られた金をコンゴ共和国の大統領などの海外口座に送金していた。この上乗せという形で1989年から1992年の間にコンゴ共和国の政治家に渡った額は、およそ6,480万米ドルになると考えられている。なお、これらの取引はスイスやリヒテンシュタインなどの銀行を介して行われていた。このように、外資系企業、銀行、そしてコンゴ共和国の政治家が外から見えにくい仕組みを通じて石油の利益を得る構造があった。

コンゴ共和国の沖合で稼働する石油生産設備(写真:Stephane Lesbats / Wikimedia Commons [CC BY 4.0])
1992年に大統領に選出されたリスバ氏はこの搾取構造に反対したが、これがエルフ・アキテーヌとフランス政府との対立を招くことになった。代わりにリスバ氏はアメリカの石油大手のオキシデンタル・ペトロリアム社に接近し、コンゴ共和国政府に割り当てられていた石油と新たな油田の掘削権を1億5千万米ドルで売却した。この資金でリスバ氏は滞っていた公務員への賃金を支払うことができ、議会選挙で過半数の議席を確保したが、フランス政府とエルフ・アキテーヌとの対立は決定的となった。
これらの石油会社は紛争にも深く関与していたことも明らかになっている。エルフ・アキテーヌは、リスバ氏と対立する軍事組織への資金と武器の提供に関与した。それだけではなく、本来対抗関係にあるはずのリスバ氏の軍事組織に対しても石油を担保にした武器購入の便宜を図ったという。とはいえ、サスヌゲソ氏が自社にとってより都合のいい人物であったため、サスヌゲソ氏により手厚い支援を行ったと考えられており、サスヌゲソ氏のイメージアップのために世論関係のコンサルタントまで雇っていたという。
なお、1980年代ごろから徐々にエルフ・アキテーヌの汚職が明らかになり、2003年には第二次世界大戦以降、西側諸国で最大のスキャンダルと認識されるようにになった。アフリカではコンゴ共和国だけでなくガボン、アンゴラ、カメルーンにも賄賂を送っており、そのうちガボンに送られていた額は年間で1,670万米ドルになると考えられている。
エルフ・アキテーヌは2000年にフランスの別の石油会社トタルフィナに買収され、トタルフィナエルフとなった。2021年にはトタルエナジーズに社名変更している。しかし、社名は変わってもこの搾取・汚職の構造は続いているようだ。
サスヌゲソ氏の右腕と言われたジョゼ・ヴェイガ氏が、資金洗浄、脱税、越境汚職などの容疑で2016年にポルトガルで逮捕されたことを皮切りに、トタルとイタリアの大手石油会社エニが汚職に関与しているのではないかという疑惑が浮上した。また、汚職が強く疑われているコンゴ共和国国営石油会社(SNPC)の取引相手には、トタル、エニに加えてアメリカの石油会社シェブロンや大手商社のグレンコア、トラフィグラも含まれており、違法活動が行われている可能性が指摘されている。

ポワントノワールの近くにあるエニの拠点(写真:jbdodane / Flickr [CC BY-NC 2.0])
特にエニについて、2015年にコンゴ共和国で石油の採掘権の許可をめぐって賄賂を支払ったという疑いで2017年に調査が始まった。この事件に関して2021年、エニはイタリアのミラノ裁判所に1,400万米ドル相当の和解金の支払いによる解決を提案した。なお、この提案はエニが容疑を認めたものではなく、司法手続きを終わらせるものだと主張した。裁判所はこの提案を受け入れ、2023年に検察も訴追しない決定を下した。
このように、外資系企業はコンゴ共和国の政治と経済に大きく関わってきた。2000年以降も決定的な証拠があるわけではないが、疑わしい関係性が続いている。
政治と汚職
1997年に大統領に返り咲いたサスヌゲソ氏は、その立場を汚職と抑圧によって強固なものにしている。まずここでは汚職について見ていこう。コンゴ共和国の2024年の腐敗認識指数(※4)は100点中23点で、これは180カ国中151位と評価されている。
実際に2019年4月、サスヌゲソ氏の娘のクラウディア氏がコンゴ共和国の公的資金から2,000万米ドルを横領し、アメリカのドナルド・トランプ氏が所有するマンションで現金化していたことが発覚した。また同年9月には、サスヌゲソ氏の息子のクリステル氏はコンゴ共和国の国庫から5,000万米ドルを横領したと報じられた。これらの不正な資金流出は、ヨーロッパや英領ヴァージン諸島などの中南米の国々を経由して行われたと指摘されている。さらに2020年には実質的にクリステル氏が所有していたアメリカのマイアミにある高級マンションの一室が、不正な資金で購入されたものとして当局に没収された。
なお、クラウディア氏とクリステル氏はどちらもコンゴ共和国の国会の議員であり、前者は大統領の広報担当責任者、後者はSNPCの元副社長であった。

ルワンダの大統領(右)と会談するクリステル氏(左)(写真:Paul Kagame / Flickr [CC BY-NC-ND 2.0])
これらの事件は、コンゴ共和国に蔓延する汚職のほんの一部だと考えられる。そして、これらの汚職は国営石油会社が深く関わっていると考えられる。各国の石油・ガス部門の透明性向上に取り組むNGO団体、ナチュラル・リソース・ガバナンス・インスティテュート(NRGI)は国営石油会社が関わる汚職を、社員による賄賂の授受、政治的に繋がりの深い企業との背任的取引、会社の資金の横領、の3つの類型に分けて説明する。そして、コンゴ共和国の事件ではこれら全ての類型の汚職が行われていたという。
また、違法な資金の流れを隠すためにペーパーカンパニーや外国の銀行口座が使用されたとも指摘されている。このように、資金の中継地となるタックスヘイブンが違法な資本の移動を隠し、下支えすることで利益を得ているという側面もある。
加えてコンゴ共和国の財政を管理するシステムが脆弱であることも大きな問題だ。国家が定める石油戦略や財政支出を管理する有効な会計監査機関の欠如が石油資源の有効な利用を妨げていると指摘されている。
権威主義と抑圧
続いて抑圧について焦点を当ててみると、コンゴ共和国の石油資源は政府の権威主義を強めているという見方ができる。天然資源の輸出に依存する経済構造を持つ国では、政府はより権威主義的になりやすい傾向にあると考えられている。そのメカニズムとしては、国家の財政収入において天然資源による収入が大きく市民からの納税の割合が低いため、その分政府は市民に対して負う責任が弱まり、より自律的に行動できるためだと説明される(※5)。
実際、サスヌゲソ氏は世界的に見ても長い期間の間コンゴ共和国の大統領であり続けており、その権力と影響力は非常に大きいものとなっている。2015年の憲法改正では、大統領選挙への立候補にかかる制限のうち、70歳以下の条件と3期目を禁じる規定が撤廃されたため、当時71歳で2期目の大統領職を務めていたサスヌゲソ氏の再選に法的な制限は無くなった。なお、この憲法改正の反対運動に参加していた野党党首のポーリン・マカヤ氏は2015年11月に逮捕され、許可を受けていない抗議活動に参加した罪で有罪判決を受けた。

2016年の大統領選挙の際に作られた広報のデザイン。下部はフランス語で、「若者の選択」を意味する。(写真:Kim Yi Dionne / Flickr [CC BY-NC-SA 2.0])
直近の大統領選挙が行われた2021年3月、ブラザビル中心部ではインターネットなどの通信が遮断され、町中の店が営業を取りやめ、治安当局の車両が展開する物々しい雰囲気の中で選挙は進んだ。その結果サスヌゲソ氏は88%を超える得票率を得て大統領に再選された。
この政権の正当性には批判の声が上がっている。当局は野党の支援者や人権活動家などを治安維持の名目で拘束し、政権への反対意見への抑圧を強めていると主張されている。また、労働組合の構成員や活動家、弁護士、ジャーナリストも当局から嫌がらせを受けているという。なお関連性は必ずしも明らかではないが、2015年の憲法改正の翌年に大統領選挙が行われたが、この年のコンゴ共和国の軍事支出は国内総生産(GDP)比で約4.6%と高い水準になっている。
民主主義の実現において重要な役割を持つコンゴ共和国の報道は、自己検閲と経営者の意向による影響を強く受けており、独立した報道は制限されていると考えられている。ジャーナリストの拘束などの事例もしばしば確認されており、国境なき記者団によると2025年の報道の自由度ランキングは180国中71位と評価されている。
また産油国一般に通じる傾向として、より権威主義的・軍国主義的な政策が取られやすいことが報告されている。政治家は石油企業からの違法な賄賂や透明性の欠如により利益を得るため、透明性や平等を求める民主主義的な動きを抑圧する動機がある。そして民主主義的な活動の抑圧のために、政府は石油を資金源に軍事力の増強を行う傾向もあるという。このような傾向は、これまで見てきたコンゴ共和国の政治や歴史に合致すると言えるだろう。
不平等と貧困と汚染
これまで見てきたように、コンゴ共和国では石油を中心とした搾取構造が形成されており、この構造の中で石油企業や政治家は巨大な利益を得ている。そしてこの構造は、コンゴ共和国の国民にあらゆる形で負担を押し付けることによって成り立っている。

コンゴ共和国で稼働するトタルグループの石油設備(jbdodane / Flickr [CC BY-NC 2.0])
2015年から2023年まで、コンゴ共和国のGDPは年率で1.9%の成長率を記録している。しかし、この間で一人当たりGDPは32%減少している。若年失業率は41%を超えると推定されており、2023年11月には軍の入隊説明会に仕事を求める若者が殺到して少なくとも37人が死亡する群衆事故が発生した。コンゴ共和国のなかで「エシカル(倫理的)な貧困ライン」(※6)と呼ばれる基準以下の生活をしている人々の割合は、世界銀行が公表している最も新しい2011年の数字で78%を超えていた。さらに国内でも、都市部と農村部の間では大きな差があると指摘されている。
またインフラの整備も行き渡っておらず、電気の供給は、2023年時点で人口の51.3%にしか行き届いていなかった。そのため、生活に必要な電気を得るために高価な発電機を購入しなければならない住民も多いという。
このように、コンゴ共和国は恵まれた資源を持ちながらも国民の多くは貧困の中で暮らしている。その要因の1つには、これまで見てきたような石油会社による搾取構造や政治家による汚職などで発生する富の流出が考えられるが、他にも検討できるシナリオがある。ここでは、産業構造について検討してみたい。
一般的に、豊富な天然資源が発見された国では資源開発のための投資や資源の輸出による外貨の流入が発生する。これにより通貨高が起こり、輸入産業は活気付くが、輸出産業、特に資源に関係しない製造業や農業は輸出のハードルが高くなる。その結果、長期的には資源関連以外の雇用が減少して失業率が高くなるとともに、資源関連以外の産業の発達が阻害され、モノカルチャー経済に陥りやすくなる(※7)。
また、石油を担保にして多額の融資を受け取ることが常態化していたことも貧困問題を悪化させたと考えられている。債務返済の負担が招く財政赤字は公共サービスへの支出の縮小に繋がり、医薬品の不足や教育レベルの低下をもたらすことになる。実際、2015年から2018年の間で公共支出は半分以下に減少し、人々は年金を受け取ることができず、病院は慢性的な資金不足に悩まされることになった。

コンゴ共和国の首都ブラザビルの様子(Фотобанк Moscow-Live / Flickr [CC BY-NC-SA 2.0])
さらに、財政赤字を悪化させる原因として石油関連企業の脱税も指摘されている。2004年の監査報告では、トタルやエニなどの石油会社が行った9つの事業の支出において1億2,700万米ドルが過大に申告され、コンゴ共和国政府は6,350万米ドルの脱税を被った可能性があるという(※8)。
加えて国家の財政ではないが、SNPCの財務状況もコンゴ共和国の財政を考える上で考慮しなければならない。SNPCはコンゴ共和国の国営企業であるが、2018年時点で約33億米ドルの負債があると推定されている。SNPCは国営企業であり、国家はその経営に責任を持っているため、SNPCの負債はコンゴ共和国の負債になり得る。したがって、石油の枯渇や石油需要の低下が起きたとき、コンゴ共和国の財政はさらなる負担を強いられる恐れがある。
また、天然資源に頼る産業構造は、経済的な負荷だけでなく環境に対する負荷も大きい。2011年にはコンゴ共和国の石油産業の中心地であるポワントノワールに近いルビ潟湖で原油の流出事故が発生し、地元の漁業に大きな影響をもたらした。なお、この潟湖では1990年代からこれまでに96,000リットルの原油が流出したと考えられており、住民の健康や現地の生態系に深刻な被害をもたらしている。
外交の多様化
コンゴ共和国には石油資源を求める外国企業が集まるが、これは石油がこの国の外交においても大きな意味を持っているということもできる。かつてはフランスやイタリアなどの石油会社との関係が深かったコンゴ共和国だが、近年は関係の多様化を図るような動きが出てきている。
実際に、2016年ごろからコンゴ共和国は中国との関係を強化していると指摘されている。この関係の中で、中国はコンゴ共和国に経済的支援などを行い、コンゴ共和国は中国を外交面で支持するという構図ができていると考えられている。また、2024年5月には中国の石油会社の石油精製施設の改修について発表した。

コンゴ共和国にある中国資本のセメント工場(Kianguebene / Wikimedia Commons [CC BY-SA 4.0])
また、2024年9月にはロシアと、ポワントノワールとブラザビルの間の新しいパイプラインの建設を行うことで合意した。この動きについては、単なる経済協力ではなく、新しい搾取構造であり、ロシアが外交的に支援を得るためのものだという見方もなされている。
さらに2024年11月、これまで関係の薄かったアゼルバイジャンの国営石油会社と石油精製設備の現代化を行う契約を結んだ。また、アルジェリアの国営石油会社とも接触しているとも伝えられている。
なおこれらの動きは、外交的な変化だけでなく産業面での変化と捉えることもできる。石油の精製施設やパイプラインの整備は、これまでコンゴ共和国に不足していた石油精製や輸送などのいわゆる下流部門を強化する動きである。これらはより多くの現地の人々が雇用されることにもつながると考えられる。
石油に頼らない政治へ
コンゴ共和国では、石油を軸として政治家とその家族、外資系企業、外国政府などにより搾取構造が形成され、汚職と抑圧が常態化し、極端な不平等が発生している。このシステムの強固さは30年近く続くサスヌゲソ氏の政権によって示されている。
しかし、石油をはじめとする化石燃料の使用は確実に地球を蝕んでおり、気候変動の被害はますます大きくなっている。この中で、石油に頼る経済は変革を迫られる時期に入っていると言えるだろう。2025年、コンゴ共和国は2030年までに再生可能エネルギーに焦点を当てながら発電能力を2倍の1,500メガワットに引き上げる計画を発表した。コンゴ共和国は水資源にも恵まれており、最大14,000メガワットの発電が行えると推定されている。
これらの資源も活用しつつ政府が政治の透明性を高めて、長期的な視点で政策を実行することが石油に依存した国家から脱却するための近道になるだろう。

コンゴ共和国のポワントノワールの街並み(写真:David Stanley / Wikimedia Commons [CC BY 2.0])
※1 コンゴ民主共和国とコンゴ共和国について、国名の由来はともにこの地域に定住する民族コミュニティのうち多数派を占めるバコンゴに由来する。起源が同じでありながら2つの国がある原因は15世紀ごろからのヨーロッパ諸国による植民地化にあり、現在のコンゴ共和国に当たる場所ははフランスの、そしてより大きな面積を持つコンゴ民主共和国に当たる場所はベルギーの支配地域となった。以降、この2つは別の国としてそれぞれの歴史を歩むことになった。
※2 コンゴ共和国の首都ブラザビルは、ピエール・ブラザ氏の名前に由来しており、フランス語で「ブラザの街」を意味する。
※3 この事件では、狙われた政治家の支持者が兵士を妨害し、最終的に兵士は引き返したという。
※4 腐敗認識指数は世界の腐敗や汚職を監視するNGO、トランスペアレンシー・インターナショナルが発表する指数であり、実際の腐敗ではなく公共部門の腐敗度合いの主観的な認識を数値化したものである。0点は最も腐敗のおそれが強いことを表す。
※5 このような国家は「レンティア(不労所得)国家」と呼ばれており、多くの産油国で見られる。
※6 世界銀行により定められた極度の貧困ラインは1日2.15米ドルで暮らす状態である。しかしこの貧困ラインは過剰に低く設定されており、その代替的な尺度として、1日7.4米ドルを基準として、貧困と寿命の関係を根拠とする エシカル(倫理的)な貧困ラインが挙げられる。
※7 この現象はコンゴ共和国に限らず新たな天然資源が確認された国の多くで見られるものであり、オランダ病と呼ばれている。
※8 この数字は政府が石油利益の50%を受け取ることができると仮定した場合の数値である。
ライター:Seita Morimoto
グラフィック:MIKI Yuna
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