ボスニアの首都サラエボで露店を営む夫婦を想像してみよう。店を出す許可を得ているわけでもなく、税金を収めているわけでもない。商品の調達も販売も現金で行い、客には領収書を発行していない。その近くの建設現場で日雇いされている男性もいる。この人も、その日の労働に対する報酬は現金で行われ、記録が残らない。このような商売は「インフォーマル経済」を構成する。ボスニアを含む西バルカン地域はヨーロッパの中でも特に割合が高く、欧州連合(EU)加盟の足かせとなっている。
インフォーマル経済とは、法的枠組みで保護、あるいは認知されていない労働者や事業体が行う経済活動のことを指す。一見、インフォーマルであることで労働者にとってはメリットがあるように思われるが、果たしてそうなのだろうか。あるいは町、都市、国全体にとってはその影響はどのようなものなのだろうか。
本記事では、インフォーマル経済とは何かについて改めて述べたのち、西バルカンでの事例を扱う。
インフォーマル経済とその問題点
まず、インフォーマル経済の詳しい定義から扱っていく。国際労働機関(ILO)による定義では、「インフォーマル経済とは法律上あるいは事実上、公式な取り決めの適用を受けていない、あるいは受けていても不十分なものである労働者および経済単位によるあらゆる経済活動(犯罪行為などの不正な活動を除く)」とされている。フォーマル経済とインフォーマル経済の境界は曖昧なものである。完全に報告されていない生産活動や事業体と、部分的には報告されている生産活動や事業体の両方が混在しているためである。
インフォーマル経済に従事している人にとっては、法人登記や細かい出納記録などの面倒な手続きを行う必要がなくなったり、税金を納める必要もなくなったりするなど都合の良い面もある。このため、フォーマル経済と比べて新規参入が容易であるともいえるだろう。
また、低所得国にとってはインフォーマル経済の規制はコストのかかることであり、その実施に対する障壁が高い。実際、インフォーマル経済そのものは多くの国で当局から黙認あるいは容認されてきた事実がある。
しかし、インフォーマル経済は当然多くの問題点を抱えている。主要な問題点のひとつとして、インフォーマル経済のもとで働く人々が法律による労働基準や社会保障制度によって保護されない状況にあるということが挙げられる。そのため、労働者に賃金が適切に支払われる保障もなければ、劣悪な労働環境に置かれてもそれを規制する目もなく、一方的な労働力の搾取や虐待、ハラスメントが起こりやすくなってしまう。
また、そのような仕事に従事する労働者だけでなく、顧客にとっても問題がある。例えば、飲食店なら法律に基づいた衛生基準が設けられていないために、不衛生な環境で調理されたものを購入せざるを得ないかもしれない。また、製品に対する品質基準も適用されないため、不良品や危険な商品を手にする確率が高まるかもしれない。

ボスニア・ヘルツェゴビナで傘を販売している店(Andrew Curran / Flickr [CC BY-NC-SA 2.0])
加えて、インフォーマル経済の影響は市民のみにとどまっているわけではない。国際通貨基金(IMF)によるインフォーマル経済の定義では、「市場価値があり、正しく記録されれば国家の税収と国内総生産(GDP)に寄与する活動」であるとされている。経済活動の規模に合わせた納税が適切に行われていないため、本来得られるはずの税収も失われており、公共サービスの質や規模の低下などの問題を招きうる。さらに、公的な記録がなされていない部分があることにより、社会における経済活動の正確な規模や中身を把握することができていない。そのため、インフラなどの公共サービスの計画や経済活動を規制・促進するための政策の立案・実施もしづらい。このことは、各国政府や政策立案者にとっても大きな懸案事項となっている。
このように、インフォーマル経済は労働者、顧客、国や各地域の自治体などさまざまなアクターに悪影響を及ぼしている。
世界全体でのインフォーマル経済の動向
前章ではインフォーマル経済がどのようなものなのかを扱ってきたが、果たしてその規模はどれほどのものなのだろうか。ILOによると、世界の15歳以上の労働人口の60%にあたる、約20億人がインフォーマル経済のもとで働いていると推定されている。しかし、各国間の規模にはばらつきがある。平均して、インフォーマル経済での経済活動がGDPに占める割合は高所得国では平均15%にとどまっているのに対して、低中所得国では平均35%にのぼっている。
また、個人レベルでの傾向として、インフォーマル経済で働く人々の賃金の方が、フォーマル経済のもとで働く人々の賃金よりも低くなっている。その原因として、インフォーマル経済の労働者は法的保護を受けていないため、最低賃金法や労働基準法等に則った賃金を受け取れないことや、労働組合などに加入している事例が少なく、賃金に対する交渉力が低いことなどが挙げられる。

農具を使って干し草をならすモンテネグロの農家(写真:Adam Cohn / Flickr [CC BY-NC-ND 2.0])
ジェンダー間の差も目立つ。多くの国で女性の社会進出が進んでいるものの、フォーマル経済のもとでの雇用全体に占める女性の割合の低さや報酬、労働条件などの点で不利な立場に置かれている場合がいまだ多い。インフォーマル経済のもとで働く女性の割合も高く、南アジアでは女性の労働者のうち95%が非公式雇用であり、サハラ以南のアフリカでは89%、ラテンアメリカ・カリブ海地域では59%となっている。この要因のひとつとして、根本的には多くの女性が家事労働を強いられていることが考えられる。世界の家事労働者の80%を女性が占めているとの推定もある。家事労働や子育てにより外での労働時間を十分に確保することができず、フォーマル経済へのアクセスが難しい状況におかれている。それでも自分で稼いで生活していかなければならない女性にとっては、自分の都合で柔軟に仕事ができる環境が必要になる。その結果として、インフォーマル経済への参入が選択肢の1つになっているのである。
西バルカンのインフォーマル経済
ここまで、インフォーマル経済の概要や世界全体での動向を扱ってきたが、本章では、EUへの加盟を目指しながらもインフォーマル経済の問題を多く抱えているとされる西バルカン地域に注目する。西バルカン諸国とは、バルカン半島の西側に位置するアルバニア、北マケドニア、クロアチア、コソボ(※1)、セルビア、ボスニア・ヘルツェゴビナ、モンテネグロの7か国(※2)を指す。これらの国の多くで、インフォーマル経済の規模がGDPの規模に占める割合は約30%に上っており、EUの平均である17.9%を大きく上回っている。

また、企業と個人の雇用関係そのものが曖昧である事例もある。労働契約がないまま雇用されている労働者の割合は、モンテネグロで51.6%、セルビアで47.9%、ボスニア・ヘルツェゴビナで29%となっている。その他の労働者についても、給与の一部が未報告であるような十分な報告がなされていない労働に従事している人が少なくない。その割合はモンテネグロで40.6%、クロアチアで72.4%に上る。また、業種別にみると、報告が部分的である労働が特に多い業種は農業、売業や卸売業などである。
西バルカン諸国でインフォーマル経済の割合が高くなっている要因は様々であるが、高い失業率、政府や公的機関に対する信頼度の低さなど多岐にわたる。西バルカン諸国の多くにおいて、税務当局や税制度が腐敗していると多くの人々に認識されているため、脱税に対しても咎められることが少ない。また、モンテネグロでは予算の監査制度が長年にわたり機能不全に陥っているとされている。このように、政府や公的機関が市民からの信頼を得られていない現状が見受けられる。
西バルカン諸国におけるインフォーマル経済の問題が深刻であるのが明らかになったのは、新型コロナウイルス(COVID-19)のパンデミックのときである。インフォーマル経済のもとで働く人々には医療がきちんと保障されていなかったためである。健康保険に加入していない労働者の割合は、2019年時点のコソボで60%と高い数字であった。医療を享受できなかった人の多さが、インフォーマル経済の中にある企業の数の多さを示す事態となった。
クロアチアのインフォーマル経済
この章では、西バルカンで唯一EU加盟国となっているクロアチアにフォーカスしていく。クロアチアのインフォーマル経済はGDP全体の約27%に相当し、EUで3番目の高さとなっている。経済全体に占める割合は2000年以降少しずつ減少しているが、経済全体の規模の成長が速かったことによる相対的な比率の低下にすぎず、インフォーマル経済そのものの規模が絶対的に減少したわけではないと指摘されている。
先述のように、インフォーマル経済のなかには申告が全くなされていないものと部分的になされているものが混在しており、クロアチアでの事例も同様の性質を持つ。業種別にみると、クロアチアでは建設業でのインフォーマルな労働の割合が最も高くなっているが、飲食業や接客業、サービス業でも一般的な現象となっている。また、適切に申告されていない商品を購入したり、サービスを受けたりしたことのある人は全体の4分の1に上る。そしてこの購入先が親族・友人、知人など身近な存在である場合もあり、このことがより一層規制を難しくしている可能性がある。

クロアチアの建設現場で働く労働者(写真:Miroslav Vajdić / Flickr [CC BY-SA 2.0])
クロアチアでも、ほかの西バルカン諸国と同様に、政府機関への信頼度の低さに起因する、納税に対する市民のモチベーションの低さが目立っている。また、脱税や申告漏れが多発していることにより、市民の間で「周囲の人々もやっているから大丈夫」といった認識が広まっていることもインフォーマル経済の要因として挙げられている。申告を適切にしないことによって厳しい取り締まりを受けるリスクも低く、政府もその機能を十分に果たしているとは言えないだろう。
西バルカンにおけるインフォーマル経済問題への対処
労働者や顧客にとっても、政府にとっても決してメリットが大きいとは言えないインフォーマル経済であるが、各国政府がこれまで対策を講じてこなかったわけではない。ただ、そのすべてが包括的かつ一貫性のあるものであるとは言えないという問題点を抱えているのである。
例えば、モンテネグロ、北マケドニアではILOのもとで、アルバニアではIMFのもとでインフォーマル経済対策の行動計画が2015年から策定されている。税制改革や脱税に対する罰金制度の厳格化がなされた一方で、行動計画の具体性が十分でなかったため、経済界のなかには、これらの計画は行き当たりばったりであると指摘する声もあった。また、モンテネグロでは健康保険料の引き下げが行われ、ボスニア・ヘルツェゴビナでは所得税の軽減が実施された。これによって納税へのハードルが下がることにより、人々の納税の促進を図り、不正な企業活動が減少することが期待される。セルビアでは、脱税に対する罰則が2019年に厳罰化され、より抑止力が高められた。こちらも、税金を納めないことによるデメリットを増大させるアプローチによって、納税の促進を目指していると考えられる。

セルビアの通貨であるセルビア・ディナール紙幣(写真:Forextime.com / Flickr [CC BY 2.0])
このような監査や取り締まりの強化を行う一方で、不正な企業活動を防止するためのインセンティブを企業に与えるための取り組みもなされている。例えば、アルバニアでは2015年に、インフォーマル経済の規模縮小を目的として、法人登記の簡素化が行われた。「国家ビジネスセンター(QKB)」を設置して法人登記、税務登録、社会保険登録などの手続きを一元化し、そのハードルを下げることで経済活動のフォーマル化を図るものとなっている。また、セルビアでも同様の法人登記手続きの簡素化を目的とした政策が実行されている。
今後の展望
ここまで述べてきたように、インフォーマル経済は世界各地でみられる現象であり、それに付随して様々な問題を引き起こしている。そのフォーマル化には根本的な改革が必要であり、大きなコストを要するであろう。現在西バルカンで行われているいずれの対策も、いまだ課題を抱えているのが現状である。この問題を解決していくためには、経済活動のフォーマル化に対するコスト面や手続き面でのハードルを下げることと、脱税や規則違反に対する厳格な処罰を行うことの両方が必要不可欠である。
しかし、これらの制度をきちんと機能させるためには、政府や公的機関に対する市民における信頼度も高めていかなければならないだろう。そのために腐敗の撲滅や税金が有効に利用されていることを市民に対して示す必要がある。これらの対策を通じて、経済活動のフォーマル化が進み、市民の意識に変化が生まれることも期待できるかもしれない。
※1 2008年に独立を宣言したが、現在も国際連合には加盟していない。
※2 7か国のうち、クロアチアだけがEU加盟国である。
ライター:Tsugumi SUZUKI
グラフィック:Ayane Ishida
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