スーダンで、20234月に勃発した武力紛争が拡大しながら世界最大級の人道危機を引き起こしている。武力紛争位置・データプロジェクト(ACLED)によると、2023年4月から2024年6月25日の期間で確認されているだけで18,500人以上の死亡が確認されている。ただ、この数字は戦闘だけで確認されているものにすぎず、実際の死者数はさらに多いと考えられる。難民高等弁務官事務所(UNCHR)によると920万人 以上が強制非難を余儀なくされ、720万人以上が国内避難民、200万人近くが近隣諸国に避難している。ノルウェー難民評議会が設立した国内避難民監視センター(IDMC)の調査によると、2023年に観測された武力紛争による国内避難民の数はスーダンが世界で最も多い。また、スーダン、隣国の南スーダン、チャドで2,800万人以上が食料不足に陥っており、状況はかなり深刻である。

それにも関わらず、スーダンは世界から「忘れ去られ続けている」と20242月の国連人道問題調整事務所(OCHA)のマーティン・グリフィス事務次長が発言するほど、世界からの注目は低い。スーダンの紛争の背景に何があるのか、現在はどのような状況なのかを探っていく。

ハルツームの様子(写真:Christopher Michel/Flickr[CC BY-NC2.0])

紛争の歴史

現在スーダンが抱えている紛争を理解するために、2003年から始まった別の紛争に遡る必要がある。それはダルフール紛争である。

スーダンはイギリスの植民地から1956年に独立したが、長年独裁政権を抱えている。1989年からは、クーデタで政権を獲得したオマル・アル・バシール大統領が支配した。そのような政治体制の下で、中央政権と地方との衝突が絶えず発生した。貧困が蔓延する中、地方は富が集中する中央から疎外されているという不満がたまっていた。地方においては、様々な民族アイデンティティが存在し、その軸で対立も生まれた。

長年の中央政府との武力紛争を経て、南部スーダン(後の南スーダン)が独立に向けて動き始めていた。また、ダルフール州でもその不満が武力紛争へと発展していった。ダルフールはスーダン西部に位置し、リビア、チャド、中央アフリカに接し、中央政府から疎外された地域であった。資源不足による貧困や、水不足による放牧地をめぐる争いが深刻化し経済的に困窮していた。緊張状態がピークに達した2003年、経済資源の不平等な配分に抗議した反政府勢力が登場し、スーダン解放軍(SLA)や正義平等運動(JEM)と名乗ったグループがスーダン政府に対して武装蜂起を始めたのである。一方でスーダン政府は、ジャンジャウィードと呼ばれたダルフール地方の民兵組織に武器を提供し、反政府勢力と戦わせた。ジャンジャウィードは村を襲撃して虐殺を繰り返した。バシール政権に抵抗する反政府勢力のSLAJEMと、ジャンジャウィードやスーダン国軍との間で対立が続いた。

 2003年に武力紛争が発生して以来、ダルフールでは約30万人が命を落とし、数百万人が避難を余儀なくされた。その中での40万人は隣国のチャドに避難を余儀なくされ、チャド中央アフリカ共和国での紛争も混ざり合う事態に発展した。民間人の殺害など、多くの残虐行為が拡大し、国連は警鐘を鳴らした。国連のコフィ―・アナン事務総長はダルフールを「世界最悪の人道危機」と呼んだ。

その後も紛争終結に向けた交渉が継続され、200655日には国際連合などの支援を受け、アフリカ連合(AU)の下でダルフール和平合意DPA)が締結された。2009年に国際刑事裁判所ICC)がスーダンのバシール大統領にダルフールにおける人道に対する罪、ジェノサイド、戦争犯罪の容疑で逮捕状を出した。20102月にスーダン政府とJEMとの間で、「ダルフール問題解決のための枠組み合意」が締結された。このように和平への動きはあるが、スーダン政府と反政府勢力との戦闘は継続して発生している。

ダルフール合意の様子(写真:UNAMID /Flickr[CC BY-NC-ND2.0])

2000年代にダルフール地方で紛争に参加していたジャンジャウィードから、2013年に準軍事組織として、即応支援部隊(RSF)が発達した。RSFはバシール政権において、ダルフールやその他の地方での反政府勢力を鎮圧するために利用された。さらに、2015年に国軍とともにイエメン戦争に派遣されることもあった。同年に正規軍の地位を与えられた。しかし、指揮系統においては独立した勢力としての地位を保ったままだった。

 揺らぐ中央政府

バシール大統領が政権を握り続け、その後も国民の不満が解決することはなかった。再び大規模なデモが起きるきっかけとなったのは、201812月、パンの価格が一夜で3となり、すでに困窮していた国民生活がさらに苦しくなったためであった。やがて抗議活動は首都を中心に国内各地に広がり、国軍による弾圧により犠牲者も出た。20194月に行われた大規模な抗議活動をきっかけとして、軍は行動を起こした。結果的に国軍とRSFがクーデタを起こし、軍最高司令部はバシール大統領の解任を発表した。

その後、クーデタを起こした軍が暫定政権を担うことに対して国民が強く反発したことを受け、20198月、軍部と文民による暫定的な統治機構を設立した。暫定政権の長官を担っていた、バシール元大統領の右腕のアブデル・ファタハ・ブルハン氏が就き、RSFの司令官であるモハメド・ハムダン・ダガロ氏、通称ヘメドティ氏が副長官に任命された。

2019年の革命の様子(写真:Hind Mekki/Flickr[CC BY2.0])

大規模なデモが続き、20198月にはAUとエチオピアの仲介で交渉が行われ、民政移管への道を開く憲法宣言が署名された。3年の移行期間中に文民と軍の共同統治期間を設置することを規定している。民間人と軍人で構成される主権評議会が国を統治することとなり、経済学者のアブダラ・ハムドク氏が首相に指名され、政権移行が始まったように思われた。ハムドク氏はスーダンの経済危機を解決しようと、改革を進めようとした。この改革の動きに対し、軍の将軍たちは自らの利益が脅かされると認識し、「革命の進路を修正する」として軍事クーデタによりハムドク氏を首相から解任させる。これに対し、ハルツームでは文民統制を求め、ハムドク氏の復帰を求めるデモが激化した。国軍は抗議デモに反応してハムドク氏を一時首相に復帰させたが治安部隊による暴力行為を制御できず、退任することになった。

これ以来、スーダンには文民指導者がおらず、国軍のブルハン氏が事実上の国家元首として権力を握った。201812月に暫定政権の形成に向けた枠組み合意が主権評議委員会、一部の民主化勢力、RSFとの間で成立した。しかしその後、国軍とRSFの正統性と支配権をめぐった争いが激しくなった。交渉で大きな話題となるのは、RSFの役割である。合意では国軍とRSFの統合について書かれているが期限が明記されておらず、ブルハン氏は2年を主張し、ヘメドティ氏は10年を主張していた。

 紛争勃発                       

RSFを軍に統合する計画をめぐり、両者の関係は緊張感を増した。治安部隊の権力と国家権力の行使をめぐる問題の中で、RSFの軍への統合時期が対立の争点となった。202348日、ブルハン氏とヘメドティ氏は会談を実施した。ブルハンはヘメドティ氏の拠点であるダルフール州のアル・ファシールからのRSFの撤退とハルツームへの流入の停止を求めるなど動きが見えたが、415日、国軍による発砲により戦闘が勃発したとされる。

Sudan War Monitorのデータを元に作成

ハルツームで戦闘が勃発して以来、すぐにダルフール州、中部の北コルドファン州、中東部のゲジラ州などスーダンの他地域に戦闘は広がった。スーダン空軍はスーダン空域を閉鎖し、首都郊外のRSFの陣地を複数攻撃した。数か月の間でRSFはハルツームでの地位を固め、首都の国軍本部を包囲し、ブルハン氏をスーダン紅海州の沿岸都市ポートスーダンへ追いやった。首都の西側ではRSFの本拠地であるダルフールでの激しい戦闘が行われた。ダルフール州の4つの都市がRSF陥落し、北ダルフール州の首都エルファシャーの占領に向けて準備をしている。RSFはダルフール州以外にも中部の北コルドファン州と南部の西コルドファン州の一部を支配しており、スーダン最大の油田と首都との戦略的補給路を掌握している。2023年末にRSFは都市圏の統制を強め、ハルツームの国軍を弱体化させた。ハルツームの南に40kmの地点にある白ナイル州は11月に陥落し、さらにRSFは南下を進め中東部のゲジラ州の州都ワドマダニまで進軍した。

国軍はワドマダニから撤退し、RSFによる攻撃にさらされている。また、RSFは国軍に圧力をかけ、南ダルフール州と西ダルフール州の拠点から撤退させた後、ダルフール州のほぼ全域を支配している。ダルフールはRSFにとって大きな収入源であり、ダガロ氏の支持基盤である。ハルツームとダルフールでの戦闘に成功したRSFは、国軍を屈服させるためにスーダンの南方や東方に進撃している。国軍はRSF武装ドローンによって対抗し、ゲジラ州を奪還することに取り組んだため、勢いが軍に傾いた。しかし、ワドマダニとエルファシャーでの激しい戦闘をめぐり、多くの死者を出しており、事態の悪化が懸念される。

 

ブルハン氏とヘメドティ氏(写真:左:President.az/Wikimedia Commons[ CC BY4.0])右:Government.ru/Wikimedia Commons[CC BY 4.0])

人道問題

1年以上の戦闘を経て、スーダン国内の状況は絶望的である。冒頭でも触れたが、20234月の戦闘開始から20246月までに18,500以上が死亡している。また、2023年以降で万人920万人以上国内および周辺地域で避難しており、世界最大の避難危機に直面している。また、戦争の中で性暴力が広く行われていることも問題であり、国連人道問題調整事務所(OCHA)が問題視している。

 食糧危機にも直面しており、1,800万人が食糧、清潔な水、燃料などの必需品が深刻に不足している。インフレと食糧不足により食糧は入手しづらい状況にある。スーダンでは紛争だけではなく洪水や干ばつなどの厳しい気象現象の影響を受けている。国連食糧農業機関(FAO)の予想では2024年の穀物生産量は、2023年水準の46を下回り、厳しい状態だ。食糧不安はスーダンだけでなく、周辺の南スーダンやチャドと合わせて2,800万人が不安を抱えている。

また、世界保健機関(WHO)によると20244月時点で11,000件以上のコレラ疑い、4,000件以上の麻疹、マラリア、デング熱が発生しており、医療崩壊が深刻化している。

また、紛争の影響もあり、スーダン経済は18.3縮小した。これによりスーダンに住む多くの人々の生活が圧迫している。

難民キャンプでの様子(写真:Global Partnership for Education/Flickr[ CC BY-NC-ND2.0])

外交関係

スーダンでの紛争が1年以上激しく継続している原因の一つに、外国との関わりがある。特にエジプトやアラブ首長国連邦、サウジアラビアとスーダンの関係が大きく影響している。エジプトはスーダン国軍を支援しており、軍事支援を与えていると報じられている。エジプトはスーダンの北部で国境に接しており、両国はともに軍が主導的役割を担ってきた背景が存在する。一方で、アラブ首長国連邦(UAE)やサウジアラビアはRSF支援する。ヘメドティ氏はUAEやサウジアラビアと同盟を組むフーシ派勢力と戦うために、数千人のRSF傭兵をイエメンに派遣した。また、ロシアの準軍事組織ワグネルRSFが管理する金鉱資源と引き換えに武器を提供していた経緯がある。

2023年5月にサウジアラビアとアメリカが紛争の仲介を試み、サウジアラビアのジッダでスーダン国軍とRSFを招集した。7月にはケニアが動き、東アフリカの地域連合である青樹間開発連合(IGAD)からの平和維持部隊の派遣を提案したが、スーダンの隣国であるチャドとエジプトはIGADに参加していない。これに対し、2か国はカイロで会合を開き、スーダン近隣諸国首脳会議を開催した。他の地域的な折組と連携しながら、紛争を和平的に解決することを目的とした。他国や国際機関による和平交渉の試みは少なくとも16行われているが、調停の兆しはついておらず、スーダンでの戦争を止めようとする世界の動きは機能していない。多くの国々が自らの思惑で動いていることが原因の一つだという指摘もある。

このように、スーダンでの紛争は終わりが見えていないのが現状であり、世界が注目されていないところで多くの犠牲者が現在出ている。今後も注視していきたい。

 

ライター:Junpei Nishikawa

グラフィック:MIKI Yuna

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